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ひとりのチベタン少年との出会い。
今回の旅で自分が見たもの、感じたものたち。
それは今もチベットの地にあるものもあれば、
一瞬にして消え去ってしまったものたちもある。
とてもいとおしくて、儚いものばかり。けど自分に出来るのはそのひとつひとつの
『カケラ』たちを自分の心に置いておくこと、そしてここに書くということ。
すべての出会いに、ありがとうってつぶやいてみる。

自分の体が復活した後のこと。12月27日。

ラサ中心部から少し離れたところにセラ寺という寺がある。
約100年前、チベットが鎖国政策をとっていた時期に日本人の河口慧海がチベット仏教を学んだ場所としてこの寺は知られている。このセラ寺の中でチェ・タツァンという最大規模の学堂があり、そのチェ・タツァンの裏側、裏山との間にこじんまりとして、至るところ壊れかけた小さな学堂がある。
あまり人気のないこの学堂の2階の歩いているとき、上に伸びる木のはしごを見つけた。
どう考えても参観コースではないだろう。けど、はしごの先に見える青空に妙に惹かれた。
何があるんだろう。上ってみたい・・・。
周りを見渡すが、人の気配はない。
よし上っちゃえ!

はしごを上り終えて、周りの景色を確かめようとしたその時、
背後から「ハロー!!」の声が。  
んっ??驚いて、振り返ると、さらに「はしご」を上った上のところに
一人のチベタンの少年がいた。しかも手招きしてる。
そのまま、さらに少年がいるところまであがる。 
「你好」と挨拶すると、
「给你」といって、挨拶代わりなのか、一枚のせんべいをくれた。
「谢谢。你会中文吗?」「一点」
こんな感じで、この少年との会話が始まった。

彼の名はダンジレクサ、11歳。この場所で一人、チベット語の書き練習をしていた。
11歳といっていたが、自分から見たら小学校低学年にしかみえない。
やんちゃで、人懐っこい彼は学校には行っていないといった。
だからか、自分の名前をチベット語で書けない。けどラサに住んでるからか彼は
チベット人だけど、少し中国語を話せる。
僕は不思議でならなかった。
チベットで最大の都市ラサに住んでるのに、なんで学校に行ってないのだろうか?って。
田舎だったら、学校行ってないのまだわかる。
行きたくても行けないのだろうか。いろいろな思いが頭をよぎる。
聞いてもそのことは口を閉ざしたままだ。
あまり彼を問いただして傷つけてしまうのも恐かったから、別の質問にした。
あの建物はなんて言うの?とセラ寺の一つの建物を指で指すと、
得意げに建物ひとつひとつの名前を教えてくれた。
そして突然走り出したかと思うと、屋上を横切る細い水道管を鉄棒のようにして遊び
始めた。これが自分の得意技なんだといわんばかりに。

僕はそこに座り込んだ。
時折強く冷たい風が吹くけど、日差しが暖かくて、静かで気持ちのいい場所だった。
そして、その場所は見晴らしがとてもよかった。セラ寺の中でもかなり高い場所にあって、遠くにポタラ宮も見える。そしてすぐ裏の山にはヤギがいる。
その先ではチベタンの子供達がダンボールを尻に敷いて、山をすべり降りている。
『平和』という言葉が頭の中に浮かんできた。
今、自分の目の前に広がっている光景はとても穏やかで、平和に見えた。
けど、数十年前に破壊された建物がそのままの形で残っているのを視界の一部で捉えることもできるし、目の前には勉強したくても、何らかの事情で学校に行けていない彼もいる。

何気ない寄り道で出会うことのできたチベタン少年。
また新たな現実を目の当たりにして、自分自身複雑な思いにはなったが、
カメラの前でとても素敵な表情をみせてくれたダンジレクサ。

ありがとう。君にあえてよかった。
僕は君のために何かをしたわけじゃないし、それ以前に君が何を望んでいたかもわからない。けど、チベット語が読み書きできるようになった君にまた会ってみたい。
それまでには自分も「自分だけ満足」の世界から飛び出して成長していたい。
by shuxaku | 2005-01-05 19:32 | +++ Travel +++
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