新聞の連載記事を読んで。
最近の日経新聞の夕刊にチベットに関する記事が連載されている。
最初は単純にチベットが載っている事が単純に嬉しく思えたのだが、連載が進むにつれて
複雑な思いが強まってきている。

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僕がチベットで聞いた話を見方を変えるとこんなにも違う捉え方ができるのかと・・・。

チベットの人たちは経済的にはすごく貧しいけれど、すごく明るくて、信仰心が強くて、伝統を重んじていて、自分達の生活に誇りを持っている人が多いように思えた。実際にそういう人は多かった。目が合うと、大の男でもニヤッてはにかんでくる。上海ではまずそんなことはありえなかったし、同じ中国だとはとてもとても思えない。チベットには今もなお独立意識はあるのだが、中央政府の監視、圧力により、自由な発言、行動は許されない。そんなチベットの独立化の力を弱めようと、中国の四川省あたりからたくさんの中国人が送り込まれ、チベット省のラサではチベット人より中国人の比率が段々高まりつつある。

新聞には、ラサにおける工場で働く人のほとんどはチベット人ばかりだが、管理職はほとんど全てが中国人だと書いてあった。これは工場に限らず、ラサの街を見ていれば、あちこちでそんな光景が見られた。上に中国人、下にチベット人という経済的な主従関係が、
そのままこの地域で全ての縮図に思えた。

貧しさから脱出させるために、子供を学校に行かせようと必死になる親。その親は工場で働き、中国人から給料をもらう。その給料で、子供の教育を必死に奨励しようとしている。チベットでは中学になってから、中国語を習いはじめるのだそう。そして子供がそこでよい成績を取ると、中国本土に特待生扱いで進学できる。その先には富が待っていると信じて。
「ダライラマより、今は子供の教育だわ」という新聞に書いてあった親の言葉が心に深く残った。
確かに教育は成長に欠かせない一つの重要な要素であることに疑いはない。ただ、チベットにおけるそれが最終的に中国につながっているのが、複雑な気分にさせるのだ。
今や中国はチベットに深く染み込んで、チベット人も簡単には独立できない。
まあチベット人が独立に対する思いがどうであるか、実状はわからないのだけど。

昨年末行ったラサの街は中国人用の住宅街建設ラッシュだった。その付近にはみすぼらしいチベット人住宅街が広がっていた。そして通りの看板も中国の地名が使われた道路に変わっていっている。これみよがしに広がっている中央政府の支配。物理的にも精神的にも進み続けるこの支配の先にチベット人の幸福は待っているのだろうか。

世界遺産に登録されている『ポタラ宮』の下のエリアにも、破壊され廃墟となり、現在修復中のチベット人家屋があるのに・・・。
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by shuxaku | 2005-09-17 00:38 | +++ Diary +++
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