チベットの映像をみて
日曜日の午後、僕は渋谷のミニシアター『UPLINK』に来ていた。
目当ては、この日に上映される3本のドキュメンタリー映画
すべてチベットに関わる内容のものだった。
3本の映画と在日チベット人広報官のトークショーで、2600円という内容だったのだが、
とても意味のある体験だった。

チベット難民、チベット仏教、ダライ・ラマ・・・。
一般的に知られる、その限られたキーワードの中で展開される映像。
その内容は中国政府によるチベット弾圧に関するもの無しには語れないために、
悲惨なものが多いし、本当に悲しくなるようなテーマばかりだ。
本や人から聞いていた話ばかりだったものを、映像で見ることによって、そのリアルさがダイレクトに伝わってくるし、毛沢東時代のラサ蜂起が起こった日の映像なんかは、暴力に溢れ、見ていて、苦しくなってきた。この映画によって、自分が知らない世界をまた知り、ますますチベットへの関心が高まったのは事実。

今なお毎年2000人を越えるチベット人がヒマラヤを越えて、他国(インド、ネパール)に亡命しているという事実。

ノーベル平和賞を受賞しているダライラマを危険人物ということで、マークする中国政府。

そのダライラマの「中道」の提案を一切無視し続ける中国政府は、
70歳になるダライラマの死をただひたすら待っているようだ、といわれる。

僕は中国が好きだし、たくさんの素晴らしい中国人を知っている。
けど、彼らはそのチベットで起こっていることを知らない。伝えられていないのだ。

それは、日本が朝鮮を占領していた時代、朝鮮の人々に対してしていたことが、
多くの日本人に伝えられていないように。

自分も知らない事は多いし、中途半端な知識は、とんでもない誤解を招く可能性があるのは
十分承知の上だが、自分が知る限られた情報の中で、思い、考えることは、とても大切な事だと感じる。そして、それを外にはき出すことも。

もちろん言葉は主観というフィルターを通して、作られる。
つまり、言葉や表現はそれで武器にもなりうるだけに、自分の放つ言葉には責任があるわけだが、そんなのお構いなしに、発言したくなるときもある。

そう、熱い何かに触れたときは。
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by shuxaku | 2005-11-09 23:16 | +++ Diary +++
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