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2005年の僕がいた。
最近、部屋の掃除をしている時、押入れから未現像のフィルムを見つけた。

中にはどんな写真が入ってるんだろう、ドキドキしながら、昔よく行っていた現像屋に出した。

上がってきた写真を見ると・・・

2005年夏、ちょうど1年前の夏が、そこにあった。

むしょうに東京湾に行きたくなって撮った写真。
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一人でフリマをやった時の写真。
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撮った後すぐ確認できるデジカメでは味わえない、

良さがアナログカメラにはある。


自分がお気に入りのフィルムを入れて、また撮りたくなってきた。

2006年、再びあの独特のシャッター音に誘惑される僕がいる。
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by shuxaku | 2006-07-27 01:13 | +++ Memory +++
旅のカケラ。頭の片隅の小さな記憶。
あの頃、自分が何をしたいのかわからずに、
不安を紛らわすかのように旅に出てばかりいた。

いや、実際は不安なんて無かったのかもしれない。
ただただ、どこか自分の知らない遠い街に行きたくて、あてのない旅にでてばかりいた。

こうやって今まで何回旅してきただろう、
切符片手にいつもそんなことを考え、
移りゆく窓越しの景色に、胸を膨らませていた。

1学期の授業の単位はどうにかなりそうだったし、よさこい祭りも終わった後だった。
気にかかることはなかった。


いつのまにか汽車の心地よいリズムを子守唄にうたた寝をしていたらしい。
ふと目を覚ますと窓の外には海が広がっていた。

「海だ・・・」

海の向こうにはいくつかの島も見えた。

指の隙間から床に落としていた小説を拾い上げ、もう一度ぼんやり外を眺めた。



汽車の中にアナウンスが流れた。
どうやら駅につくらしい。

「・・・この駅で降りてみよう」



そこは、瀬戸内海に面した小さな駅だった。

聞こえてくるのは、浜に寄せる波の音、海から吹き付ける風の音、
そしてそれらを打ち消すようなセミの鳴声、ただそれだけだった。




そして本当にただそれだけの記憶だった。

心のずっと奥にそっと置かれていた記憶。
なぜか急に思い出して、記しておきたくなった。


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by shuxaku | 2006-05-11 00:28 | +++ Memory +++
踏切りはスタートライン。

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2年ちょっと前、まだ僕が都内に住んでいた頃。僕は杉並の代田橋の家から10キロ程離れた港区の三田の店(職場)まで、毎日チャリンコで通っていた。

井の頭通りを曲がり、東北沢の商店街入口にある、開かずの踏み切り。
毎朝毎朝あまりにも長く待たされるから、自分と同じようにチャリンコにまたがっている者同士、ちょっとした顔見知りになる。といっても、そこに挨拶はないのだけど・・・。

これは多分、この渋谷に程近い世田谷という場所的なものが関係していると思うが、踏み切り待ちしているメンバーのほぼ全員が、いいチャリンコに乗っている。マウンテンバイク、ロードレーサー、クロスバイク、折り畳み自転車。普通のママチャリの比率が非常に少ない。10人くらい踏切待ちしてるとしたら、その8,9人はカッコいいチャンリンコに乗ってる。
皆、自分のチャリンコラブな人たちばかりなのだ。自分も含めて。

だから、タチが悪い。
踏み切りのバーが開いた、その瞬間から僕らのレースが始まる。
皆、われ先にと、スピードを上げていく。僕はその頃、ダホンというメーカーの折り畳みチャリに乗っていて、それでもまあまあ早いスピードは出るのだが、競走する相手が悪すぎる。
順位でいうとビリの方になる。ギヤは一番硬く、早いやつにしてるのにも関わらず、まるでそれが空回りしてるかのような錯覚に陥るくらい回転させてるのにだ。

別にそんなにムキになることないじゃないか・・・と自分でも思う。

けど、自分をそうさせてくれない人間がひとりいた。
彼は格好はスーツなんだけど、尖がったヘルメットに、グローブ、靴も革靴ではなく、そのペダルに合うような専用の靴を履いている。足元のズボンの裾の部分はバンドで巻いて、ひらひらしないように。僕からしたら、なんてヘンテコリンな格好してるやつなんだろうって思うのだが、その気持ちが相手に伝わったのか、コ憎たらしい態度をあからさまに取ってくる。
僕はある時から、心の中で彼のことをトンガリ君と呼び始めた。

踏み切りのバーが開いた最初の方、トンガリ君はいつも後手なのだが、それは人を追い越す事が快感のようで、そのためにわざと後についているような感じなのだ。
僕を追い越すその瞬間に、横目でちらっと僕を見て、ニヤっとする。そしてたまに口笛も吹いてくる。「・・・?」初めてこれをされた時は、本気でバカにされたと思い、クソっとか思いながら必死の抵抗を試みたが、車輪の大きさ、ギヤ比があまりにも違いすぎて、全然追いつかないのだ。
週に3,4度、彼に追い越される、そんな日々がしばらく続いた。
当たり前だが、連戦連敗だった。。。

そんなある時、僕はもう一台自分のチャリを買う事になった。前のチャリが故障して、修理費用もバカにならなかった事、毎月30日間働いていた自分へのご褒美の意味もあった。
そこで新しく買ったのが、ビアンキというメーカーの「バックストリート」というチャリ。一見マウンテンバイクのような形だが、タイヤは少し細めで、クロスバイクと言われるタイプになる。「チェレステ」と言われるエメラルドグリーンの色が特徴のチャリンコだ。

そのチャリンコに乗り始めた冬のある日。いつものように踏切の音が止んで、黄色と黒のバーが上がる瞬間、僕はゆっくりこぎ始めると、すぐにトンガリ君がやってきて、僕のチャリンコを一瞥すると、いつものように得意気に僕を追い越した。僕は心の中で笑った。

「今日からちょっと違うもんね~」そんな気分で、僕も少しずつスピードをあげはじめた。
渋谷区松濤の辺りで、一気に追い抜いた。んで、「俺も意地が悪いな」と思いつつ、チラッと相手を横目に追い越してみた。その時の彼の顔といったら、本当に傑作だった。
思わず噴き出しそうになるのを押さえ、そこからまた越されては困るので、必死にチャリを走らせた。代官山から駒沢通りに入り、恵比寿駅前を通過した辺りで、ペースを落とした。
明治通り沿いを走りながら、心の中でガッツポーズ。

それからは気乗りしないときを除いては、彼に追い越されて、また追い越す事が朝の小さな楽しみで、結構いい運動にはなっていた。今考えると、とても危ないし、やってることがまるでガキンチョだけど、そういう小さな楽しみを毎日職場で報告していた頃を懐かしく思う。
さすがにもう成長しましたけど・・・・。
ふぅ、ちっとも、スローじゃないね。
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by shuxaku | 2005-11-04 23:00 | +++ Memory +++
戦場のメリークリスマス。
今日、移動中の車のラジオで今年初めてのクリスマスソングを聴いた。
ずっと忘れていただけに、あーもうこの時期が近づいてきたのだと、
なんだか懐かしいような気分になった。

運転しながら、過去のクリスマスを無意識にいろいろと思い出していた。
今まで26回のクリスマスを経験したはずなのに、はっきりと思い出せるクリスマスは
あまり多くない。
子供の頃はその季節がやってくるのが楽しみで、毎年ケーキを囲んで過ごした。

二十歳を過ぎてからのクリスマス。
ある冬は友人と飲みに行って、記憶飛ばして、公園で横たわっていた。また別の冬は友人と暖かい部屋で鍋をつつきながら飲んでいた。そしてまた別の冬は夜の東京を背景に友人を撮影していた。平和に(?)過ごすクリスマスイブが多い中、そうじゃないクリスマスもあった。

大学を卒業した年、2002年のクリスマスイブは、今なおはっきりと覚えている。
当時、外食コンサルタントとして新大久保で働いていた。派遣先の他会社の赤字のフランチャイズ店舗に自分の会社の上司が店長として、そして自分は店長補佐という形で派遣され、その店にもともといたパート・アルバイトらと共に店を建て直していくマネジメントが要求された。
ちょうどクリスマスイブの日、店長である自分の会社の上司と僕は衝突した。

早く帰れる日だったが、「甘い」と言われ、なんだかむしょうに腹が立って、ヤケクソの気持ちで、「ここにあるチラシを全てポスティングしてから帰ります」と店のチラシをちらっと見ながら店長にそう言い放った。そのチラシはアルバイトの子らが1週間かけて配る予定のチラシで、相当な量がある。無茶だとわかっていながらも、そうでもしないと気持ちが落ち着かなかった。

「お前が帰ってくるまで、待っててやる」という上司の言葉を背に、チラシを自転車のカゴにつんで、外に出た。ポスティングだから、人の家にポストに入れなければいけない。
その時は夕方7時で、普通にやったら朝までかかる。一気に配りたかったから、近くの団地やアパートなど、ポストが1ヶ所に集まっているところを集中的にポスティングしていった。

この大久保というところは、新宿歌舞伎町の北側にあるから、夜になるといかがわしい人がたくさん出てくる。深夜11時過ぎから、自分が乗る自転車の先々に、いろいろな世界が展開された。道の暗いところに東欧系の金髪のオネエサマ達、アジア系のオネエサマ達が並びはじめ、ニューハーフに、おなべに、ヤ○ザのものだと思われる黒塗りベンツの列・・・。
別に自分に迷惑がかからなければいいのだが、暇そうなニューハーフ2人組に自転車のハンドルと荷台を捕まれそうになった。
クリスマスパーティーの帰りだと思われるサンタの格好した若者の集団、仲良く手をつなぐカップル、夜の大久保通りで大声でジングルベルを歌うサラリーマン。
「アホらし・・」と思いながらも、皆、自分から見たら華やかな世界にいるようで、うらやましかった。

そう思った瞬間、すごくみじめな感覚を味わった。
叫びたくなるくらいに。

真冬の寒さが痛いくらいに体に染みてきていた。

全てのチラシを配り終え、午前3時過ぎに店に戻った。
あの状況で言った言葉だから店長は待っているとばかり思っていた。
だが、店長はすでに帰ったという。
彼女とデートの約束があるからと、僕が出かけた後すぐに帰ったらしい。
話が違うじゃんと思いながら、僕はその晩、また歌舞伎町に戻り、歌舞伎町のマンガ喫茶を
探した。朝まで仮眠できる場所を探したが、そういう時に限ってどこも満席で、5軒目のマンガ喫茶でやっと落ち着くことができた。イブの日にマンガ喫茶で時間つぶすなんて、皆何やってんだよと心の中で悪態をつきつつも、そこにいる誰よりも自身に対して、何やってんだよという気分だった。複雑な思いが心に刻まれた、忘れられないクリスマスになった。

去年のクリスマスイブはチベット・ラサ市のヤクホテルの一室で高山病と風邪と戦っていた。
眩暈、吐き気、頭痛、発熱で22日から25日までずっと寝込んでいて、目を覚ましては
自分はチベットに歓迎されていない、もうこのまま帰ろう・・・と考えていた。
もしかしたら、自分を知る人が誰もいないこの地で、
このまま死んでしまうのではないかとも思い、自分の行動を後悔しそうになった。

その頃、上海に住んでいた自分には付き合っている彼女がいた。いろいろ考えた末に、
彼女にチベット行きの話をした時、「行ってきなよ」と答えてくれた。
彼女の周りの友人らからは「やめなよ」、「一緒にいなよ」と言われ、自分はひどいことをしているんだろうなと思いつつも、自分の行動を止めることは出来なかった。
自分の前では「私のことは気にしないで、行ってきて」と言ってくれた彼女のその言葉だけを受け容れて、それ以外のそこにある真意を深く考えようとはしなかった。

ラサでのクリスマスの25日、僕はやっと体を動かせるようになり、
自由に動ける体、これこそ、クリスマスプレゼントだと思った。
今思えば、その日から、自分の中で気持ちの持ち方が少し変わった。


中学生の頃、東京ラブストーリーっていうドラマを見たときに、東京での大人のデートに憧れた。
そして自分も大人になったら、ロマンチックなクリスマスを過ごしたいと思っていた。
どこかの高級レストランで、ワインを傾けながら・・・、という光景を
家族と過ごすクリスマスの夜、テレビを見る度に妄想していた。

それなのに、今までクリスマスを彼女と二人きりで過ごした経験は一度もない。
恐らく小さい頃に感じていたクリスマスに対するこだわりというのが、薄れてきたからだと思う。
ただ、このイベントに便乗して友人となら何かをやらかしたいという思いはあるのに、
なんだかこの気持ちを自身のことながら不思議に思う。
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by shuxaku | 2005-11-02 00:38 | +++ Memory +++
高知に思いはせる夏の夜。
本当だったら、今頃高知にいる予定だった。
明日から夏休みをとって、今よさこい祭りで熱くなっている高知の街へ向けて、
新幹線と特急『南風』を乗り継いで、行けるはずだった。
そのために、最善をつくし仕事の段取りを進めてきていたのに、
海外からの国際物流便『FEDEX』の飛行機がメンテのために大幅な遅れが生じ、
荷物到着が明日の朝になり、その関係で成田空港に荷物を取りにいかなければ
ならなくなった。

予定では、荷物を仕上げだ後、東京駅にもって行き新幹線便に載せて、
新大阪のお客様のもとへ引渡し、明日中に納品。
どうにかして一番よい方向へもって行きたい。
(新幹線便なるものの存在を初めて知りました、驚)

仕事が一番優先ではあるが、
10、11日と高知で行われる『よさこい祭り』をなんとしても見たかっただけに、
とても残念な気持ちもある。

『よさこい祭り』
自分が知ってる祭りの中で、一番好きな、この祭りを思うとき、
僕は一番最初にあの夏のよさこい祭りを思い浮かべる。

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大学4年の夏、僕は『海宴』というチームでよさこいに参加した。
仲間と1から作り上げたチームだった。


もともと大学の1,2年はあるチームで踊っていて、すっかりこのよさこいが好きだったのに、
3年の夏は自分が見る側になっていた。そして、そこで僕は嫌になるくらいに後悔をした。
なんで、踊らなかったんだろうって。
そして、その猛烈な『後悔』の思いがあって、次なる第一歩を導いた。

大学3年が間もなく終わるという年明けの頃、僕はいつものように友人と飲んでいた。
ちょうどその時、酔っていた僕らは、あと一年しかない高知での生活について真剣に語り合っていた。高知での最後の年、思い出になる、熱い何かをやろうぜって。

『自分たちのよさこいチーム作ろうぜ』その酔っ払いの一言が、全てを決めた。

ここからが本当に大変だった。
関東という外地からやって来て、よさこい祭りで踊った事あるのはたった2回だけ。
しかも踊りも下手っぴだし、よさこいチーム運営、準備なんか何ひとつ知っちゃいなかった、
そんな自分が流れで代表になってしまったのだ。

よさこいチームを作るにはある程度の資金が必要になってくるが、そんな金どこにもありやしないから、チームの条件としては、出来るだけ自分たちの手で作る事にした。スポンサー集めに奔走したが、その資金だって全体からみればわずかなもの。油断したら、あっという間に数十万がどんどん飛んでいってしまう。
それを抑えるために、高知で過ごした集大成というべき、知ってる人中に声を掛けて情報を集めて、力になりそうな人はどんどんスカウトしていった。
核になる振り付け&指導は、優勝常連チーム・A食品のインストラクターの友人にお願いして、音楽は自分も所属してた音系サークルの友人達、衣装デザインは女子大のデザイン科の学生、衣装縫製は服飾専門学校、地方車装飾は大学の美術部と友人たち。
とにかく低コストを意識して、手作りのチームを目指していった。

その過程の中にはたくさんの笑いがあって、衝突があって、逃げ出したくなったことも正直数回あった。当時、自分の人生でかつてないくらいの苦悩と矛盾も経験した。
けど、少しずつ増えていく踊り子達、周りのサポートのお陰で、そういうものを乗り越えて、
常にいろいろなものを戦いながら、なんとか本番までこぎつけた。

だが、本番前日の晩に、装飾された地方車が移動中、沿道の木にぶつかり、装飾が壊れ、さらに大雨もふってきて、絶対絶命のピンチ状態になった。そういうときも、たくさんの踊り子が遠い所、車で駆けつけて、大雨の中、修復作業にあたった。
本番1日目当日も前日の事が原因で、支柱が傾き始め、雨漏りによりスピーカーが壊れ、踊りが存続できない状態になってしまった。その旨を、バスの中で待機する踊り子たちに告げる時の心苦しさは今も鮮明に覚えている。

『傷だらけの地方車』という事で、嬉しくない記事も地元紙・高知新聞に掲載された。

それでも、その日またの修復作業のおかげ、すばらしい仲間のおかげで、
本番2日目も最後まで無事終えることができた。

最後の演舞場で自分たちの踊り子の踊りが終わった瞬間、安堵と感動で、
目の前が少しぼやけてきた。その次の瞬間、あっという間に、僕の体は皆の手によって
空へ舞っていた。生涯最高の胴上げだった。

打ち上げが終わり、海宴74人のメンバーと一人一人と抱き合ったり、
握手してる時に言った『ありがとう』
この言葉を一日でこんなにたくさん言ったのは初めてだったと思う。

皆の手で作り上げたひとつのチーム。
このチームは本当に最高だった。
今でも声高らかに言いたい。
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by shuxaku | 2005-08-11 02:10 | +++ Memory +++
ふと考えた・・・。
『おお~、太陽が出てきそう!』

その誰かのひとことがきっかけで、僕ら7人は海岸に向かって走っていった。
みるみるうちに東の空が明るくなっていく。
やがて横に一筋の光が見えたかと思うと、
あっという間に、空と海の境の部分が輝き始めた。

『出たぞ~!』『出た~』『おお~っ』
そんな声がまわりから聞こえる。

そして、その次の瞬間、自分の周りは雄たけびをあげる怪しい集団になっていた・・・。


出てきたばかりの、年初めの神聖な太陽に向かって、

『お前を待ちわびてた~!!!』
『お前にぞっこん!』

本当に意味わからない。
けど、そんな言葉はあくまでも序章に過ぎなかった。
(これ以上はここでは控えます*自粛)

いったい太陽に向かって、自分の何をアピールしたいのか?
自分ですら、次の瞬間自分の口から出る言葉が予測できない。

まるでエサをもらった鯉のように、口をパクパクと太陽に向けている。
テンションが上がりまくってる。さっきまでの俺らは・・・?
と首をかしげたくなる。

それまでの自分らはというと、
冬の暗闇の中で、みんなしてどっしり流木に腰を下ろし、焚き火の火に手をかざし、
ビール片手に「なんで南国高知なのに、こんなに寒いんだよ~!」って頭の中で思っていた。

愚痴を言っていたわけではない。
皆それぞれ睡魔と闘っていたり、寒さと闘っていたり、お酒に飲まれていたり(?)で、
語らいながらも、皆ぐだ~~ってしてた。

それが、こうも変わるのかというくらいに顔が笑顔で満ちてる。
くだらない事ばっかりやって笑いをさらっていく。
『○○の初笑いゲット~!』とかいいながら。

そして記念写真を撮ることになって、僕が一時的に撮影指示の監督(?)に。
「写るんです」を持ってるカメラマン役の友人に、
太陽は手の先から出るようにね!!って念をおして。

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その時撮った写真がコレ。
ええっ、あんなに念を押して、『きちんと手の先から太陽が出るようにしてよ!」
って言ったのに、太陽の位置ズレてるじゃん。
これじゃ、波動拳じゃないよ。

最近、写真を整理してるときに出てきた、この写真。
僕は大学の頃、正月に一度も実家に帰らなかった。
4年連続、その時住んでいた高知で初日の出を迎え、
この時はその最後の初日の出だった。

写真を見ながら、いろいろなことを思い出した。

そしてあらためて思った。時間を戻すことはできない。
ならば、その瞬間その瞬間、自分が後悔しないように生き続けたいって。
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by shuxaku | 2005-06-29 01:09 | +++ Memory +++
いま、飲みにゆきます
午前9時すぎ。ベッドからよろよろと這い出て、部屋の窓を全て開けた。
隣のテニスコートからボールを打つ音と共に、生温かい風が部屋の風鈴を鳴らしていく。

昨日飲んだアルコールが体に残ったままの独特のダルさを、シャワーで洗い落としていくと
頭がだんだんすっきりしてきた。バスタオルで頭をごしごし拭いて、Tシャツとジーンズを穿いて、外に出る。今年初めて履いたビーチサンダルの感覚がとても心地よい。

歩きながら、昨日の晩のことを思い出していた。

昨晩は高校時代の部活のメンバーで集まった。集まったのは六人。
皆に会うのは一年以上ぶりで、中には友人の結婚式以来久しぶりに会う友人もいた。
僕らが部活をやっていた10年前の時の思い出話から、最近の話まで。
このメンバーは結婚率が非常に高く、なんだか不思議な感覚になる。
高校の友人以外で、自分の周りで結婚している友人はとても少ないからだ。

皆、あの頃と根本的には何も変わっていないのに、確実にあの頃とは何かが違う。
それは悪い意味じゃなくて、そういう次元の話ではなくて・・・、
なんと言ったらいいのだろう。

そこにはなんだか不思議な安心感があった。
歩きながら、そんなことを考えていた。


歩いているうちに、体のアルコールは抜けていった。

今から、下北沢へ。
今日も飲みにゆきます。
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by shuxaku | 2005-06-12 12:22 | +++ Memory +++