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以前、僕が住んでいたところと今の家。
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大学の頃、家賃37000円の部屋に住んでいた。
そこは、13畳の1ルームだった。べランダも2畳くらいあって、南向きだったせいか、いつも陽射しが差して明るい部屋。風呂もトイレも別々で、キッチンも広かったので、すごく好きな部屋だった。鉄筋のマンションで、ベランダから外に向けると、向こうには住宅街が広がって、その向こうに緑の山の連なりが広がっていた。

大学までチャリンコで10分ほどで、田舎だが通学には便利なところでもあった。
マンションの裏山の上には針木の浄水場があって、ちょっとした広場になっている。ただ、そこにたどりつくまでには500m程のかなり急な上り坂を昇らないといけない。
普通の人はすぐに自転車をこぎ続けるのを放棄して、歩いて自転車を引っぱる。

基本的にアホな僕らは、一回も降りてはいけないというルールのもとに、坂道をじぐざぐに
ふらふらしながら、こぎ続ける。一度でも足を地に付けた者は、頂上に着いた時点で、ビールを一気飲みをしないといけない。登り終わった後は、汗が体中から噴き出していて、それはまるで200m全速力ダッシュし終わった後のような感じだ。

ただでさえ、息があがっているのに、そこにビールの一気飲みはかなりしんどいものがある。
だから皆が必死だった。

あの頃、僕は20をちょっと過ぎたくらいの年頃だった。
それなりに多感な時期だったと思う。

そこからは高知市内の街がよく見渡せて、僕はお気に入りの場所のひとつでもあった。

布団に入ったら5分もしないうちに眠ってしまう僕が、気持ちが高ぶって眠れなかった夜。
気づいたら外が明るくなって、眠る事をあきらめて、チャリを引き連れて、一人頂上に登り、ベンチの上でひとりぼんやりと朝陽を眺めていた事もあった。あれは確か、仲間と一緒によさこい祭りのチームを作ったときのことだったと思う。

春は頂上で咲き乱れる桜の木の下で花見をしたり、
夏にはしし座流星群を眺めていたこともあった。

今日、自分の部屋の掃除をしながら、
なぜか、そんな事を突然思い出した。

当時住んでいた部屋は、統一性のない雑貨であふれ、部屋の壁にはたくさんのポストカードや麻布や洋画のポスターなどが貼られていた。他にスノーボードやベース、アコスティックギター、シンセサイザー、そしてたくさんの本で13畳の部屋といえども狭く感じていた。
卒業で、引越しの時、あまりにの荷物の多さに辟易して、途方にくれていたりもした。

それに比べたら今の部屋はシンプルで、永く使っていきたい道具だけ。
当時の自分にとっては殺風景だろうが、今の自分にとってはすごく居心地がいい。
そしてたくさんの夢や希望を紡いでくれる。
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ありがとう、マイハウス。
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by shuxaku | 2006-12-29 00:56 | +++ Life +++
勉強をはじめる。
このブログを書きはじめて2年が経った。
一番最初に記事を書いたのは、2004年12月1日。当時僕は上海に住んでいた。

上海の渋谷の異名をとる徐家汇エリアから歩いて5分くらいのところにある、寮の4階に住んでいた。僕の部屋は西側に面していて、夕方の時間、目を窓に向けると、太陽がビルの隙間に沈んでいくのがよく見えた。夏は蒸し風呂のような暑さで大変だったが、冬はオレンジ色の夕陽の光で溢れるこの部屋が好きだった。

窓を開けると、車のクランクションの音や物売りの元気な声が、一段と大きく聞こえ、
ひっきりなしに通る車と自転車の列がよく見えた。

あの頃から、2年の時が経った。

そう、確か2年前の今ごろ、上海からチベット方面に向けて旅立った日でもあった。
そう考えると、なんだかノスタルジックな想いが湧き上がってくる。


一日の時間を、ワーキングタイムとプライベートタイムに分けたとき、プライベートタイムで今の自分に何ができるか?それを模索して書き始めたのがこのブログだった。

思えば、それから大体プライベートのことばかりをこのブログで書いてきている。
特に今年に入ってからは、「遊びの報告会」と言わんばかりに遊びのことばっかり書いてる(笑)
それはプライベートが充実していた証拠でもあるのだと思う。

あと、日頃、自分の頭の中は仕事のことが頭の中のほとんどを占めてるから、その反動でブログでは遊びのことばかり書いてるのかなぁとも思う。

だいぶプロローグが長くなったが、久しぶりにブログを書く今日、
仕事のことについて書きたいと思った。

仕事では、DVDをはじめとした映像関連サービスの企画営業、DVD制作、パッケージデザインから納品まで一連の流れをワンストップサービスで提供している。

人数が少ない分、1人あたり様々な能力が求められる。
僕自身の仕事の内容としては、企画営業として売上をあげるための仕事、そしてスタッフのマネジメントがメインとなる。

ただメインとは言っても、その大切な業務に自分の時間を100%の時間を割けるかといったら現実はそんなに甘くはなく、制作側が追いつかなくて、制作でほとんと時間をとられることもよくある。自社サービスの特性上、納期が非常に重要だからだ。

今週はほぼ毎日ように都内でクライアントと打ち合わせし、ヒアリングを兼ねて、新たな提案をする。そしてその合間に自社ウェブサイトの更新内容の原稿書いたり、新しいキャンペーンサイトのプランを練る。これが非常に難しいんだけど。
社内では、実際に制作スタッフに作業内容の指示したり、新入社員の教育、そして実際に編集に携わって、その合間時間を見計らって見積書を作成したり、メールのチェックをして返信する。いくらやってもやっても、波のようにやってくる仕事だけど、好きだからやっていけると思う。

今はスタッフが成長したおかげで、インターネットや電話での問い合わせ応対、海外工場との貿易業務、通関書類作成、商品発送準備などはだいぶ楽させてもらっているし(笑)


この仕事を通して、たくさんのことを学ばせてもらっている事を考えると、
この仕事に出会えたことに感謝している。

自分自身、経営者という最も重要なポストにいるわけではないが、
マネージャーとして責任のある立場上、それなりの当事者意識を持って考え、動こうと常に意識している。

どうやった儲かる仕組みを作れるか、
どうやったら自社サービスの技術向上できるか、
どうやったらさらに社内システムの効率化が図れるか・・・、

そしてどうやったら皆が幸せになれるのか、逆にどういう状態だと幸せなのか、
頭の中に染み付いて離れないくらい、頭の中で反芻されている。

自分も、この仕事を通して、何を目指したいのか、何を得なれければいけないのか、
そしてどうやったら自分が求める給料と、夢を実現できるか・・・。

そのためにできることは、ビジョンを掲げて、それを達成するために、
自分の頭の中で考え抜く事、絶えず必死に勉強し続けていくことだと思っている。


仕事をする上で、気になる人々がいる。
それは僕が以前働いていたコンサル会社の直属の上司や、常務たち。もう参りましたと言いたくなるくらい仕事が出来る人達だった。会社設立後、5年ほどであっという間に上場も果たした。株主、ベンチャーキャピタル、銀行への説得、あのくらいまでに、自分も論理思考能力に、プレゼンテーション能力を磨きたいと今なお強く思っている。

そしてもう一人気になる人、それは自分のいとこ。
彼は千葉高を卒業して、塾も通わず現役で東大へ。その後、起業してある程度の資金を蓄えたたあと、アメリカに渡って、ハーバード大でMBA(経営学修士)取得した。
今はコンサルタントとして、活躍している。

上場やMBA取得などといった方向で、自分がまったく同じ道を歩みたいかといったら、
自分にその気はないのだが、自分が今の環境の中でできることは多くを学びたいと思っている。
そういう意味で彼らの存在が僕にとっては気になっている。

つい最近、仕事が終わった後、グロービス大学院という学校に行ってきた。
MBA取得を目的としたビジネスプロフェッショナルを育てるシンクタンクのようなところなのだが、
体験授業とはいえ、こんなに緊張感がある講義は初めてだった。
そして久しぶりに知的好奇心がゆさぶられる興奮を感じていた。

その日初めて出会った隣に座った人と自己紹介の後に、いきなりチームを組んで、
あるケーススタディを元に、他チームとディスカッションをしていく。自分だったらどうする、なぜそうするのか。短時間で論理的に自分の仮説を組み立てて、他のチームを説得していく。
ケーススタディは全部実際にあった話が元になっている。
なぜそのビジネスプランがダメなのか、なぜリストラを行わないといけなくなったのか、
自分がその立場なら、どういうアクションをとって、その行動の裏づけは何か。

究極のクリティカルシンキングが求められる世界で、自分が今まで接したことがない世界。
これもひとつの出会い。今の仕事も忙しいけど、仕事後の時間、週に1回学校に通おうと決めた。けっして安いお金ではないが、自身に対する投資として頑張ってみようと思う。

こういう内容のことは、対外的に書くことではないが、
自分の思いの軌跡を残すために。。。
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by shuxaku | 2006-12-22 02:01 | +++ Life +++
つかの間の高知タイム。
土日に大学の4年間を過ごした高知に行ってきた。
行き帰りは飛行機で、30時間弱の滞在という短い時間だった。

いつもは短くても3,4日はいるから、こんなに短い滞在は大学入試の時以来ぶりだろう。

今回高知に行ったのは、大学時代の友人Oが高知を離れ、実家の山口に戻るという理由から、東京に住む友人Tと企画したちょっとしたサプライズ企画の送別会のためだった。

もともと、OとTと自分は同じ高知大学の寮で同じフロアに住んでいて、
しかも同じ学部だったことから、つるみ始めた友人どうし。
右も左もわからぬ入学したての頃、たいして酒も味も知らないのに、寮の先輩から、高知の洗礼ということで、浴びるくらい飲まされた土佐鶴(高知の地酒)返杯の繰り返し、「ところが~まだまだ~飲み足りない~」コールの嵐。。。ビールも、ノンアルコール飲料も許されなかった。
みな、ふらふらになって自分の部屋に戻っていたあの頃。

そんな時代があったからこそ、それだけ繋がる線が太くなったのかもしれない。
学科は違えど、4年間妙な腐れ縁で、釣り、BBQ、自転車旅、音楽、貧乏旅、宅飲み、飲み会やら、屋内外問わずたくさん遊びにいっていた。

b0069430_1392826.jpgたくさんの思い出が詰まった高知だが、ここ最近友人らが新たなるステップのために、
次々に高知を離れていっている。
そんな彼らを気持ちよく送り出してやりたいよな、そんなことを都内の居酒屋でTと語らいながら、今回のイベントが実現した。そして九州からも、関西からも、友人らが駆けつけ、計11人でOの送別会兼ドッキリ誕生日会が開かれた。

なぜ、友人が1人高知を離れるだけで、3人が飛行機で、1人が特急で高知までやって来るんだ?って話だけど、背景にはおめでたい話があって、どうしてもやり遂げておきたいことがあったから。

結果的には、予想以上の展開もあったりして、楽しく、いい送別会になったので、よかったかな。
ただ、やっぱり皆高知好きだから、そこから仲間が1人ずつ離れていくのは、語らずとも、皆同じように複雑な気持ち。そのなんともいえない淡い気持ちを心の奥に潜ませていたからこそ、皆短い時間を最高に楽しもうとしたんだろうって思う。だいぶクサイこと書いてるけど(笑)
最後、餃子の有名な屋台で、寒さに堪えながら食べたあの瞬間は、忘れたくないな。

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そして今回の高知は、他にも心に残る出来事があった。上の送別会が始まる前、そう僕が高知に着いたばかりなのに、なぜか僕がレンタカー運転して、そこに4人乗って、たまたま遊びに行った赤岡町の『冬の夏祭り』。

そんなたいした事ないだろ!!という先入観を打ち破ってくれたここの祭りのレベルの高さに驚きました。ノスタルジックな町並みに調和する、温かみのある景色。道に中央に置かれたコタツ。
そして高知中から集まったクリエイターたち。どこから来たんですか?という僕等がした質問には「山の方から」、「けど向こうの彼女らは海のほうから」。
なんかこのひとつひとつの会話の中にも、なんか親しみがあって、自然と和やかな気分にさせてくれる不思議な魅力がいっぱい詰まったお祭りでした。テキヤとかそういういかにも、っていう店じゃなくて、皆手作り品や郷土料理出してたのが、良かったんだろうな。

                赤岡町の古い街並み。
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           古民家を改装して出来た、オープンしたてのカフェ『道-タオ-』
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           友人の暮らす部屋の大家さんが、将来のカフェ開店を目指して。
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                大切に、大切にまだ残っている。
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               大きな2つのドラム缶で、かまどパンを焼く青年。
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今回はあまりにも短い滞在で、学校以外の高知友達に連絡をせず、
会えなかったけど、せっかくなのに何で連絡せんかったんやろう・・・
高知を離れる飛行機の中で、あとになってちょっとだけ反省(笑)
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by shuxaku | 2006-12-05 01:05 | +++ Diary +++