<   2008年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧
深夜に成都をおもう。
今、こんな時間だというのに起きてます。(なぜか徹夜中・・・)

明日(というか今日)からまたキャンプ(野外フェス)に行くから、テントやらダッチオーブンやら、料理の下ごしらえなど、いろいろとやっているのだが、なかなか進まない。
何かアクションを終えるたびに、ジャンベ叩いたり、聞いてる音楽変えてみたり・・・。
まるで、集中力のない子どもみたい。

朝6時には神奈川の湘南エリアに行かないといけないので、この文を書き終えて、30分で支度を終えたら、車に乗って、途中の高速のSAで仮眠してしまおうと思う。

------------------------------------------------------------------- 

今週ショッキングなニュースがあった。
中国四川省を震源とした大地震。

僕は今まで2回ほど四川省に行った事がある。
1回目は、上海留学中の2004年5月のGW、四川省にある世界遺産を巡る旅だった。
そして2回目は、同じく04年の年末年始に行ったチベット旅で、その玄関口に四川省は位置するため何日間か滞在した。

そういうこともあり、今回の地震は他人事とは思えないし、現地に住む友人の安否が気になる。


はじめて四川省を訪れたのは、僕がまだ上海での留学生活をスタートさせたばかりの頃。その最初の連休を利用して、中国人の先生に勧められた四川省へ出かけた。



そしてそこで、僕は1人の中国人女性と出会った。

彼女との出会いのきっかけは「イトーヨーカードー」だった。
成都で日本人が経営するドミトリーにチェックインをして、僕はこの町にヨーカードーがあることを知った。こんな中国の内陸にヨーカードーだなんて・・・と僕は少し興味を覚えた。

翌日から中国人ツアーで成都を離れるし、この日は時間もある。のんびり街中を散歩でもしながら、ヨーカードー探しでも楽しもう。そんな軽い気持ちから、僕のヨーカードー探しの小さな旅がはじまった。

一応、成都の市街地地図は持っていた。
ただ、だいぶ昔の「地球の歩き方」だったため、どこにヨーカードーがあるのかはわからなかった。けど、なんとかすぐに見つかるだろう。全く根拠のない、思い付きだった。

まあ、予想通りの展開というか、実際はそう簡単には見つからなかった。
歩けども、歩けども、それらしい建物がない。ショッピングエリアだから、店はたくさんあるし、人もうじゃうじゃいる。ヨーカードーの袋を片手に持っている人もいるから、多分近くにあるはずだろう。けど、それでも全然見つからない。

空も茜色から深いブルーに変わりつつあった。

僕はギブアップした。自分で見つけるのを止め、人に尋ねよう。

ちょうど、その時、自分の目の前をゆっくり歩いていたのが彼女だった。
片手にヨーカードーの袋をぶらさげて。

「请问、ヨーカードー在哪儿?」(すみません、ヨーカードーはどこですか?)
僕は彼女に尋ねた。

すると、彼女は人差し指で、ヨーカードーがある方向を示した。
僕はありがとう、とお礼を言って、指差された方向へ向かって歩き始めた。

だが10m程歩いたところで、肩を突然叩かれ、振り返ると、さっきの彼女がいた。
僕はそこで初めて気づいたのだが、すごく可愛らしい女性だった。
僕は足を停め「ん?」という顔をすると、恥ずかしそうに、別の方向を指差し「ごめんなさい、やっぱりあっちの方でした」というような内容の言葉を言った(のだと恐らく思う)。

再び、お礼を言おうとすると、彼女は続けて「私が途中まで案内します」と言い、近くを通りかかった3輪自転車を手を挙げて停めた。
僕は心の中で、「タクシー使うほどの距離なの?」という疑問と、このあまりの親切さに、心の中で「何かたくらんでるのでは?」と僕は正直彼女を疑ってしまった。

それまでの3週間の上海生活でいろいろと小さな洗礼を浴びていたこともあったから。

けど、結果的には、彼女は僕が中国に来て、初めて会うタイプの人間で、
見ず知らずの、しかも数分前に路上で出会ったばかりの僕にも親切だった。

僕ら2人を乗せた3輪自転車があっという間に、ヨーカードーの前に着くと、彼女は運転手にさっと代金を支払った。
僕が案内してもらったのだから、僕が支払うと言っても、彼女は笑いながら顔を横に振るだけで、決して僕からのお金を受け取ろうとしなかった。

ヨーカードーの中に入っても、いろいろ案内をしてくれ、
僕が翌日からの旅に必要な生活品を一緒に探してくれた。

ヨーカードーを出ると、「短い間だったけど、楽しかったです。私は家に帰ります」と言う彼女の前に、僕はどうやってお礼が出来るかと考えた。そして別れ際に、連絡先を交換した。

それから僕は翌日、中国人40人のバスツアーに日本人僕1人紛れ込んで、キュウサイコウへのバス旅に出かけた。そこで、彼女へのせめてものお礼を買って、再び戻った成都の街で彼女を食事に誘い、お礼の土産を渡した。

その後は、僕は上海で、彼女は成都。数千キロの距離が離れながらも、たまにメールで僕の中国語の先生となってくれた。

恋愛感情とかではなく、1人の人間としてすごく尊敬できる中国人に出会えたことが嬉しく思う。

以前と変わっていなければ、彼女は今も成都の街で会計士の仕事をしているはずだ。
最近僕からメールをしたが、とても返信どころではないんじゃないかと思う。


「不见不散」という僕が中国語で好きな言葉がある。
これは彼女から教わったのだが、待ち合わせの時とかに使う言葉で「あなたが現われるまで、帰りません」、つまり「あなたが来るまでずっと待っています」という意味なんだそう。
時間にルーズな人が多い国だから(?)、こんな言葉が生まれたのかなと現実的なことを考えたりもしたが、それでもやっぱり素敵な言葉だと思う。


b0069430_3492383.jpg

(写真:『成都の路上で生きる』 コンペ出展作品 2004年5月4日  Nikon FM3A )


僕が教育支援させてもらっていた中学生も、たまたま東チベットなので、わりと震源地に近いエリア。こちらもすごく心配です。


チベット問題で揺れる時期に襲った震災で、一刻も早く復興を祈るばかりです。
[PR]
by shuxaku | 2008-05-17 03:52 | +++ Diary +++
海辺のほろ酔いキャンプ@式根島 ~Part1~
(前回の続きから・・・)

そう、波乱の旅のはじまりはじまり。

僕らも周りにならって、テントを建て、その中で3人一夜を過ごすことにした。
まずは、荷物を整理して、やっと一息つけたところで、プレミアムビールで乾杯。

そして、明日に備えて、早く寝ようということで、早速寝袋にもぐりこむ。


そう、気づくと、僕の目の前はこの映像のような世界に一変していた。
フライシートが飛ばされそうになっていたのを、ぎりぎりで救い上げ、再度寝る。

強風のため、テントが持ち上がりそうになっている。
大の大人3人が寝ているにもかかわらず・・・。

それからも、しばらくは暴風という名の揺りカゴの中で眠っていたが、外も明るくなってきたので、起きることにした。この時点でも、風の強さは弱まるどころか、さらに強くなってきていた。

フェリーが最初の停泊地、大島に着いたのに合わせて、僕らはテントをたたみ、室内廊下に移動することにした。なんという、快適さだ。単なる「廊下」でさえ、こうも思わせるのだから、すごい。

そしていくつかの島を通過して、いよいよ式根島へ。
僕らの誰もが待ち望んだ瞬間がいよいよやってきた。

ついに島上陸。
けど、のんびりもしていられない。
フェリーにいたキャンパーらしき人々は、式根島のひとつしかないキャンプ場(この時期)に向かって、われ先にと足を進める。全ての人が、少しでもいいテントサイトを確保するために。

けど、ここは僕らの強みを発揮。
キャンプ場まで1キロほどあるのだが、自転車でひとっ走りして、小走りの他キャンパーを追い越し、あっという間に先頭チェックイン(笑) 
まあ、島特有の急傾斜坂道のお陰で、いきなり大汗かいたけど・・・。

ここのテントサイトは完全無料。それだけに、場所が重要なんだけど、一番いいところは、前の日以前から来ていたキャンパーに取られていたから、残った場所の中でいいサイト地をなんとか確保。

それから続々と集まってくるキャンパーで、あっという間に人口密度高いキャンプ場に様変わり。

僕らはブランチを作るべく、テントを建ててから、早速地元の商店へ買出し。
他キャンパーからのお裾分けや、自分たちの作ったご飯でお腹一杯になった後は、自由行動。3人が3人とも自転車でそれぞれの方向へサイクリング。
足元には今年初のビーチサンダルをつっかけて・・・。

皆あまり寝てないはずなのに、それでもこのアクティブに動いていく感じがなんだかいい。

心配していた天気もどこ吹く風といった具合で、南国っぽい青空に。


b0069430_28334.jpg


僕らのテントサイト脇に、大きな石を3人で運んできて、リビングスペースを作った。
おかげで、かなり居住性がアップ。

しかし、食前酒を飲んだ後の力仕事だったため、異様なハイテンションで夜突入(笑)
[PR]
by shuxaku | 2008-05-13 00:46 | +++ Outdoor +++
海辺のほろ酔いキャンプ@式根島 ~プロローグ~
旅のはじまりは、いつでもワクワクする。
さらにそれが、「船旅」という非日常なスタートからはじまると、
期待度もぐっと高まってくる。

けど、今回のスタートは初っ端から、冷や汗ものだった。
金曜夜、東京・竹芝発、伊豆諸島方面へのフェリーに、僕は間に合わなかっのだ。
仕事が予想以上に長引いたからせいでもあるけど、そんな理由で旅を放棄もしたくなかった。

フェリーは東京を出た後、横浜に一度寄港するから、それになんとか間に合うように行くしかない。

僕は渋るタクシー運転手に頼み込んで、自転車が入った大きな輪行袋をトランクに詰め込み、稲毛駅まで向かった。
それから自転車を担ぎ、駅の階段を走り、やってきた快速電車に滑り込むように飛び乗った。あと30秒到着が遅ければ、今回の旅は架空の話で終っていたかもしれない、そんな緊迫感の中で、僕はの旅は始まった。

けど、まだ安心はできない。

横浜という土地に馴染みがない自分にとって、横浜の大桟橋という場所は遠い存在だった。一番最寄駅の関内駅からフェリー乗り場まで徒歩15分、桜木町駅からはタクシーで5分。
フェリーが横浜を出港するのは、23:30。僕が横浜に着いたのが、23:10。

まだ僕は横浜駅にいるのに、出港するまで、わずか20分しかない。

僕に残された方法は2つだけだった。
桜木町駅からタクシーに乗る方法、または関内駅から自転車で向かう方法。

桜木町からタクシーで行けば、楽だが、自転車を持っていることを理由に拒否される可能性もある。それに、今日は小雨ぱらつく金曜日の夜だ。タクシー乗り場は混んでいるのではないか、5分ほどの近距離のために、タクシーも長い列作って待っている訳ではないだろう。

だからといって、関内駅から自転車で行く方法も戸惑っていた。タイヤ等をはずして、輪行袋に入れた自転車を取り出して、組み立てて、時間内に迷わずにいけるか。。。

横浜までの向かう電車の中で、僕は旅のはじまりとは思えないような
葛藤を繰り返していた。

けど今思うと、この波乱に満ちたスタートが、今回のキャンプの行く末を示唆していたのかもしれないと僕は思った。

結局、僕は自転車で行く方法を選んだ。
関内駅改札をSUICAでスルーすると、僕は自分でも驚く位のスピードで自転車を組み立てた。
そして、東方向の港へ向かって、僕はエメラルドグリーンのビアンキを走らせた。

この時の僕にとっては、赤信号も青信号も、意味のないネオンと化していた。

100mダッシュ並みの、無酸素運動で、僕はペダルを漕ぎ続けた。
フェリー乗り場が見えてきた。最後の上り坂を、スピードが落ちぬよう、
必死で前へ前へと走らせる。

昔、自分がまだ高校生の頃。必死に駅まで走って、駅の階段を駆け上って、乗ろうとしていた電車に、目の前3mのところで、無情にもドアが閉まり、電車が走り出したことがあった。そんなシーンが頭の中をよぎった。

がむしゃら。
この時の僕は、この言葉しか知らぬ動物のように、心の中で祈りながら、フェリー乗り場までなんとかこぎつけた。改札通過してから、自転車組み立て含めて、フェリー乗り場まで、5分かからなかった。
「着いた」と思う間もなく、自転車を降りると、まず背負っていた55Lのカリマーのザックを下ろした。僕を待っていた友人がほっとしたような顔で待合室から出迎えてくれた。
それから、噴出す汗の中、僕はタイヤとブレーキワイヤーをはずし、輪行袋に自転車を入れた。

なんとか間に合った。これで、旅が出来る。
僕は自分が祈っていたものに感謝した。

フェリー到着のアナウンスが流れ、僕ら男3人はフェリー乗り場へ向かう。
霧雨の中、みなとみらいのネオンが幻想的に光り、そのネオンを消すように大きく近づいてくるフェリー。甲板には見知らぬ多くの旅人が僕らを出迎えてくれているようだった。
b0069430_23433342.jpg

b0069430_23435537.jpg


そして、その甲板にいる人の多さと、甲板の上に見えるテントらしきものに目を疑いながら、僕らはフェリーに乗り込んだ。

「難民船だ」僕は乗った瞬間に、そう思った。

b0069430_2344983.jpg

そこら中にレジャーシートが敷かれ、気だるそうに横になる者、車座になって酒のイッキコールで騒ぐ者、自分たちの砦を築くテント群、ミノムシのように青い毛布に包まる者、一種のカオス的な雰囲気が漂っていた。僕らは30分ほどフェリー内を歩き回って、やっと自分たち分のスペースを確保することができた。「2等席なし」という僕らのチケットに書かれた文字が持つ意味は、自分が予想していた以上に、予想を超えたところにあるのだと理解した。

僕らの波乱に満ちた式根島キャンプ旅はこうしてはじまった。
[PR]
by shuxaku | 2008-05-06 23:21 | +++ Outdoor +++